Destiny
もう一つの未来 39
そして記憶がリセットされた智との生活が始まった。
いくらこれまで恋人だったからと言って
生まれ変わった智にいきなり色んな事は強要出来ない。
あくまでも自然に俺の事を好きになってくれる様に
俺は俺でまた一からやり直しって事だ。
智は覚え書き読んで、その通りに従おうとしてる。
それに何処まで書き記されてるのかは
俺は全てをまだ知らないけど、恐らく
一緒に寝てた事も事細かに書いてあったはずだ。
「あのさ・・・寝室なんだけど・・・」
「あ、今夜は俺ソファーで寝るから、あなたはベッド使って。」
「でも・・・俺達今までは一緒に寝てたんでしょ?」
「そうだよ。だって愛し合ってたわけだから。」
「そっか・・・」
「フフフッ、そんな不安そうな顔するのやめて貰えますか?
心配しなくても、今のあなたに俺も無理矢理セックスの要求なんて
しないし。」
「う、うん。あっ、でもベッドは和也が使いなよ。
俺はソファーで構わないから。」
「大丈夫です。明日は自分の家から布団持ってくるんで。」
「自分の家・・・?」
「あ、うん。そーなのよ。俺ね、一緒に暮らしてると言っても
まだ智とそういう仲になったのって、最近なんだよね。
あなたが病気になってから、急遽一緒に暮らし始めたから
実はまだ自分のマンションもそのままにしてるの。」
「そうなんだ。」
「うん・・・だから、今夜一晩だけだし、俺はソファーで大丈夫ですよ。」
そんなこと言ってる自分がちょっとだけ虚しかった。
でも、こればかりはどうしようもない。
智とは時間掛けても元の関係に戻りたいし
ここで無理して嫌われるようなことだけはしたくない。
大野智の再生は焦らず長期戦で十分なんだ。
俺は呑気にそんなことを考えてたんだけど
実はこれが後に大きく間違った方向へと
道を外してしまう事になるなんて、
この時まだ1ミリも疑いもしなかった。
そして、半年の月日が流れた。
俺達の関係は何も進展しないままで、布団もまだ別々で寝てた。
智は定期的に田所先生の病院へ経過を診せる為の通院を繰り返しながら
同時に仕事に復帰するためのボイトレに励む日々を送ってた。
記憶が途絶えるという障害は、今回の治療で完治したこともあり
通院や実家へのルートなど少しずつ覚えて、
今では一人で行き来が出来るまでになった。
一つ一つ、ゆっくり丁寧に記憶を上書きしてく作業は
頭の中がオーバーヒートにならないようにする為にも
とても大事な事だって田所先生が言ってた。
だけど、智の頭の中には余計な記憶が残っていない為、
教えた事の吸収が物凄く早い。
CRASHの曲も、全てタブレットの中に取り込んで
一日2曲ずつと決めて、無理しないところで覚えて貰ってたんだけど
今ではほぼ完璧といってもいいくらい歌えるまでになってた。
「凄いね。もうほぼ歌えるじゃない。」
「うん・・・CRASHの歌は歌い易いな。
最初聴いた時は、本当に俺の声なのかって不思議に思ってたけど
意外と練習してくうちに、同じ声出してたし。」
「フフッ、そりゃそうでしょうね。CRASHのボーカルは
他の誰でも無い。あなたなんだから。」
「ただ・・・」
「ん?ただ?」
「大勢のファンの人を目の前にして歌えるのかな。
俺、そういうの恥ずかしいっていうか・・・」
「智は元々そういうタイプの人だったんだよ。
だけどステージの上に立つと緊張一つしないんだ。
ビックリするほど歌に集中しちゃって
皆うっとりあなたの歌声に魅了されてた。」
「へえ・・・」
「ね、無理して復帰を急ぐことは無いですよ。
ここで無理してまた別の病気にでもなったら困るしさ、
早くても来年の春頃とかでも俺は十分だと思ってる。」
「うん、そこで完全に復帰出来る様に頑張るよ。」
前向きな智の言葉が聞けて俺は素直に嬉しかった。
「あ、和也?」
「はい?」
「俺、近いうち絵画教室に通っても良いかな?」
「えっ?」
「以前の様に描けるか分かんないけど、何か無性に描きたいんだよね。」
「そ、そうなんだ?やっぱり何だかんだ言っても
持って生まれた感性なのかもね・・・
良いと思うよ。自分のやりたいこともこれからは
遠慮なくチャレンジしてみるといいよ。
俺に遠慮とか要らないからさ。」
「うん、ありがとう。こないだ田所先生の病院の帰りに
絵画教室の案内のパンフレット貰って来たんだ。
早速申し込んでみるよ。」
「へえ・・・手回しがいいなぁ。」
こうして智は週1回のペースで絵画教室にも通うようになった。
つづく