真夜中の虹 87
ヒロキさんの退院が1週間後に決まり、俺はヒロキさんの妹さんと話をした。妹さんはヒロキさんに縄を付けてでも東京へ連れて帰る気でいた。
「あの、なんとかヒロキさんをこのまま好きな様にさせてあげる事は出来ないでしょうか。」
「は?無理です。兄は重い心臓の持病を抱えてるんですよ。ご存知でしょ?元々私はこんな田舎に一人暮らしなんて最初から反対したんです。私の忠告も守らずに勝手なことをするからこんなことになったんです。」
「妹さんがご心配なのはよく分かります。その・・・確かに今までみたいに一人暮らしっていうのは何か有った時に危険ですよね。」
「勿論です。孤独死なんてされたら困りますから。」
「誰か一緒に住んであげるとかは、無理なんでしょうか?」
「ええっ?あの家に?」
「はい。」
「誰もあんなボロボロの家に住みたがらないわよ。それに・・・誰でも良いならとっくに住み込みの家政婦でも雇ってます。兄があんな性格で人を選ぶところがあるんで、こちらがあてがう人間を黙って受け入れてくれないんですよ。」
「それもそうですよね。ヒロキさん自身、一人の自由な生活を満喫したくて移住したって言ってたから。」
「そうなんですよ。あたしにもそれしか言わないんです。でも流石に今回は兄の我儘は聞くわけにはいかない。」
「あの・・・僕が一緒だったら?」
「え?」
「僕ならきっとヒロキさんも嫌がらないと思うんです。僕が一緒に住んでヒロキさんのお世話します。っていうか・・・させて下さい。お願いします。」
「で、でも・・・」
「僕が今こうして生きていられるのもヒロキさんのお陰なんです。僕に何か恩返しが出来るとしたら・・・ヒロキさんが望んでる今の暮らしをさせてあげる事なんじゃないかって思うんです。」
「だけど、あなたにだってお仕事もご家族もお有りでしょ?」
「そ、それは・・・必ず分かってくれると思います。」
自分でも見切り発車なのは分かってた。だけど、余命短いヒロキさんが人生の最後に選んだ自給自足の気ままな暮らしを奪われでもしたら・・・何とかそれだけは守ってやりたいと思った。そのうえで俺に出来る事って考えた時、今はその選択肢しか浮かばない。妹さんも俺の突然の申し入れに戸惑ってはいたけど、俺が一緒に居てくれるのならと、何とか連れて帰ることを思い留まってくれた。まだヒロキさんの退院までには少し時間が有る。俺は一先ず智と相葉さんを説得するために東京へ戻る事にした。それはおよそ2週間ぶりの帰宅だった。たった2週間離れただけなのに、何だか1年位遠くに行ってた様な気分だ。智に思いっ切り引っ叩かれた時の事を思い出し、もう頬の痛みはとっくに消えてるのに胸が奥がギュッと締め付けられる。あの人はまだ怒っているだろうか。めちゃめちゃ怒って東京に戻って行ったし、その後一度も電話とかでも話せてないから、正直凄く不安だった。そのうえ俺は今回こんな話を土産に持って帰るわけだから、もしかすると最悪別れを切り出されるかもしれない。次はいつ戻って来れるかも分からない。約束すら出来ないのだから。
頭の中であれこれ考えながら歩いてるうちに、自宅前に到着してしまった。部屋の電灯が灯ってて、智が家に居るのが分かった。俺はあの事件で合鍵も失くしてしまってたので、インターホンを押して智を呼び出すしかなくて、一度大きく深呼吸をして呼び出しのボタンに触れようとしたその時だった。玄関の扉が開き、中から智と俺が知らない男が談笑しながら家から出てきた。
「わざわざ良かったのに。ゴメンね、今日は飯まで作らせちゃって。」
「僕にできることは何でもしますよ。あ、なんなら明日も来ますよ。」
「いや、悪いよ・・・そこまで甘えたら。」
「甘えて下さい。僕、大野さんの喜ぶ顔見たいんです!」
「えええっ・・・」
何だ?このただならぬ会話は・・・
俺は咄嗟に息をひそめ、横のガレージの方に身を隠した。
つづく