真夜中の虹 88
「それじゃ、また明日・・・」
「うん。気を付けて帰れよ。」
「はいっ。」
何なの?あいつ・・・絶対智に惚れてるじゃん。智がその男を見送り、家に入りそうなタイミングで俺は背後から駆け寄ると智の右腕を捕まえた。
「うわっ!か、カズ?」
とんでもなく驚いて目が真ん丸になって、俺を二度見した。
「俺が留守の間に随分と環境が変わってしまったみたいだね。」
「い、何時戻って来たの?」
「今ですけど。」
「連絡くらい入れてくれよ。」
「何で?」
「何でって・・・」
「俺が突然現れたらマズい事が有るから・・・ですか?」
「は?」
「ま、心配しないでも荷物取りに来ただけですから。」
そう言って、俺は智よりも先に家の中に入ると、そのままキャリーケースを探して自分の荷物を詰め込み始めた。
「帰って来てくれたんじゃないのかよ?」
部屋の入口に佇んで、黙々と荷物を詰める俺に智がぽそりと話し掛けた。
「支度が済んだら説明しますから・・・少し待ってて。」
俺は智の方を振り返らずにそう答えた。正直もう話すことなんて無い。智は俺が居なくても独身生活を好き勝手にやってるようだし、かえって俺なんかが居ない方が都合が良いのかも。悔しいけど俺が想ってる程、智は俺の事なんか何とも思っちゃいない。でも、だったら俺としても話はし易い。急いで必要な物をケースに詰めると、俺は智が居るリビングに向かった。何が有ったにせよ、最後くらいちゃんとこれまでの感謝は伝えようと思った。
「カズ・・・この前はその・・・殴って悪かった。自分でも何であんな事したのかって・・・ずっと後悔してた。」
「いえ、そこは気にしてませんから。事情が分からないんだから、あれは仕方無かったんですよ。俺があなたの立場でも同じことをしてたと思うし。」
「けど・・・」
「俺は・・・短い間だったけど・・・あなたとここで暮らせて本当に幸せだった。最初は仕事失くして行くとこ無くて・・・あなたに面倒みて貰うのは当然ってくらいのノリだった。だけどいつの間にか俺にはあなたが本当に必要な存在になっていった・・・」
詰まり詰まりに並べる言葉。ようやくそこまで話し終えて、流石に堪えきれず涙が溢れ頬を伝った。
「カズ?」
「だけど・・・運命の悪戯って本当にあるんだなって・・・」
「何を言ってるの?」
「俺は・・・命を助けて貰ったヒロキさんに恩返ししなきゃなんない。ヒロキさんは重い心臓の病気を抱えてて、そう長くは生きられないらしいの。そのヒロキさんが最後に選んだ今の暮らしを続ける為には・・・この俺が必要なんだ。」
「ゴメン、言ってる意味が分かんない。カズはそのヒロキさんの事が好きになったのか?」
「違うよ。そんなんじゃない!俺にはあなたが居るのに・・・そんな訳ないでしょ。」
「だったらそこまでする必要無いと思うけど。」
「そうだね・・・確かにそこまでする必要はないかも知れない。でも・・・あなたももう俺には見切りが付いてるみたいだし。」
「何言ってんだよ?」
「寝室まで綺麗になってて驚いちゃいましたよ。あの子、ここに泊めた?」
「は?」
「さっきの可愛らしい彼だよ。見かけによらずあなたも手が早いですよね。」
「あっ・・・誤解だよ。慎也は新しいマネージャーだって。」
「へぇ、慎也っていうんだ。身の回りのお世話もお願いしてるんですか?そういうのはお願いしないんじゃなかったっけ?」
「い、いや・・・アイツが勝手に・・・」
「あなたが喜ぶ顔が見たいんですって。良かったじゃないですか。」
「ち、ちょっと待ってよ!聞いてたの?」
「もう忘れたの?あなたは誰にでも優しくするから勘違いされるんですよ。彼は既にあなたにゾッコンですよ。」
「そ、そんな訳ないって。」
「いいじゃないですか。丁度俺も居なくなるんだし・・・これからは自由にあなたのしたいようにすればいい。」
「カズ!もう、言いたい事はそれだけ?頼むからいい加減にしてくれよ!」
智はそう言って俺を引き寄せて抱き締めた。
「おいらにはカズしか居ないってば・・・」
耳元で優しく呟いた。俺はその声で更に泣きそうになった。
「今まで本当にありがとう。俺も智が好き・・・でも・・・やっぱり行かなきゃ・・・」
智の温もりが心地良くて、そのまま胸の中に溺れそうになるのをグッと堪え、両手で智の胸を押し返した。
「どうしても行くのか?」
「はい。」
「どうせ止めても出てくんだろ?だけどこれだけは忘れないで。おいらは誰が何と言おうとカズだけだから。カズが戻ってきてくれるまでおいら何年でも待ってるから・・・それまで、誰もこの家には入れないから。」
「無理しなくてもいいですよ。それに・・・俺、そういうの逆に迷惑ですから。それじゃ・・・元気でね。」
「カズ・・・」
俺は涙を拭うと荷物を抱え、そのまま振り返る事なく智の家を出て行った。
つづく